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○蒼衣○ on
もう、こんなおかしい人の元に産まれて来たら、人生半分詰んだも同然ですね。
「それでも子供を愛せない親はいない」と言い切れる人なんて、私にはボンボン育ちの世間知らずにしか思えません。
そりゃあ世の中には飢餓や重病で命が消えそうな子供がいるんだろうし、毒親よりももっと凶悪な人間もいるのだろうけれど・・・。
私にとっては、地球の裏側にいる遠くのシリアルキラーや違法な爆弾所持者よりも、私の目の前:眼球の角膜の1ミリの距離に「画鋲」の切先を向けて今にも突き刺し続けようとしている毒親の方が、よっぽど恐怖なんです。
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もし自分の親がそう言った鋭利な「刺さる物」を目玉に突き刺そうとして来ても、反射的によけたり叫んだり・抵抗したり・拒絶したりすることも、子供には許されないんでしょうか。
そんな恐怖を感じてばっと手で払いのけたくなる前に、かならず「子供を愛さない親はいないはず」と言う可能性について、検証しなければならないのでしょうか。
「たかが画鋲」なんでしょうか。
芸能人でも有名人でも親友でも幼なじみでも恩師でも誰でも良いから大事な人が今画鋲を目に刺されそうになって、その相手が親だと分かれば安心できますか?
親だろうが何だろうが、うわあやめて!!!!!って思うのが、普通の人なんじゃないんですかねえ。
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○蒼衣○ on
私は最初、毒母が何を言ってるのかわからなくて・・・。
とにかく唖然としてしまいました。
すると毒母は、「そんな事も分からないから、貧乏くじひいてばかりいるのよ」・「要領が悪いと、生きづらくなって人生楽しめないわよ」とまで。
姉が、亡くなったあとの時でした。
毒母に言わせると、どうせ姉が死ぬのなら、おまえが庇ったのは無駄だった、だったら姉だけ殴られといて、お前は死んだふりでもしてればよかったのにね・・・と言いたかったみたい。
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あんまりにもびっくりしたのでそのまんまの台詞は覚えて無いのですが、そんな内容でした。
途中私が何回か聞き直して意味を尋ねてもそう言っていたので、これは本心だと思います。
姉が死んで動揺しているのかな!?心にもない事を言っているのかな?とも思ったものの、その他諸々「符号」する要素があり、こんな状況の時にこんな不謹慎なことを言える毒母に、心底仰天してしまいました。
当たり前のように「子供を愛せない親はいない」と言う人に、聞いてみたいですね。
世の中にはこういう母親もいるんですよ、わが子が殴られてたら一心不乱に飛び出して庇うのが当たり前だろうが、「奴がやられてるならこっちにこないな、しめしめ」と思えるような鬼畜がいるんです。
それも、サラッと。「日めくりカレンダー」の金言を教えてあげるがごとくに、人生の先輩として余裕綽綽で教えて来ましたから。
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○蒼衣○ on
それにもし他の大人に言っても、不機嫌になっただけで子供をホームに突き落とすふりをして恐怖政治のように支配しようとする母親がいるなんて信じてくれる人はいないだろうし、ムダだったと思います。
毒母は、勝つためならなんでもやる。
嘘泣きだって平気だし、弱者のふりをするのがすごく得意でした。
それに「夫のDV被害者」であることを、逆に利用しすらしているようでした。
こんな事を言うとDV被害者の人にそんな事は無いと思われるかもしれませんが、あとから気づいたのですが・・・。
毒母は一番自分がDV被害を受けているフリをしていたけれど、よくよく考えるとほとんどされていません。
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と言うのも、止めに入った私や姉が殴られ飛ばされそれでも向かって行ってなんとかする一方で、毒母は倒れて気絶した振りをしてるんです。
だから私や姉が酷い目に遭っても、助けてくれたことはありませんでした。
姉と私でかばい合って、悲鳴を上げて・・・。
疲れたり飽きたりしたら、毒父が去って行って。
その頃、急に毒母が起きて来て元気になりだす。
その後、毒母は自らも言っていました。
「倒れてるフリしてる間に他にやられてる奴がいたら、こっちには来ないから良いのよね」って。
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○蒼衣○ on
大人になった今思うと、なのですが。
駅員が近くにいなかった時・人にそれがバレなさそうな時を選んで毒母はしていたっぽいし、本気で死ぬ気など無かったし、私達を言いなりにさせたい・言いなりになってるのが当然・・・と言うスタンスだったのでしょう。
だけどまだ幼稚園児・小学生だった私達には、母の真意などわかりませんでした。
泣き叫んで心中未遂・・・と言うならともかく、「疲れてる時は、甘いものが食べたくなるのよね♪」くらいの軽い口調でそんな事を言い出す毒母がかえって不気味で。
私達姉妹は地雷を踏んでしまったら、姉を・妹が自分のせいで殺してしまう・・・と言う恐怖におびえる毎日でした。
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駅のホームバージョンだけじゃなくて、高いところとか、ベランダとか、川・船・あらゆるところで、毒母は私たち姉妹にこういう事してきたんですよね。
だから私は今でも「突き飛ばされて落ちる」夢を見るし、高い所や「へり」が苦手です。
もう毒母が近くにいないと分かっていても、何度も「もし毒母の機嫌を損ねたら・・・」と想像してしまったのが頭に焼き付いているので、どうしてもそこは離れないんです。
そして、人身事故が電車でしょっちゅう起きるし、実は小さい頃飛び込みを見てしまった事が在るので、余計に「もし姉が」・「もし私が」ってリンクしやすいんです。
毒母は「夫にDVされてかわいそうな私」と言う免罪符を持っていたので、話し合おうにしてもすぐ話をごまかされてしまうし、他の大人に告げ口することもできませんでした。
下手にしたら、姉に咎がいくのは分かり切ってましたから。
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○蒼衣○ on
今思うと本当にイカれてると思うのですが、毒母のごきげん取りは生命線でもありました。
と言うのも、私が不機嫌にした罰の矛先は姉に、姉が不機嫌にした罰の矛先は私に向かうのですが・・・。
毒父はDV酒乱のけがあったので直接的に暴力を振るってきたけれど、毒母の場合はもっと精神的にくるようなやり方をするんです。
まあDV酒乱も、結構きつかったし、どっちがどっちって比べる事もある意味馬鹿馬鹿しいんですけどね。
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例えば・・・私が失敗してしまった場合。
毒母が良くやったのは、私と毒母と姉で駅のホームにいる時に、姉を線路に突き落とすフリをする事でした。
急に背後から両肩を掴んで、「うわっ」と耳元で叫んで突き飛ばすふりをする。
すると私はもう真っ青だし、姉ももちろんそうです。
もちろんホームの「へり」ではやってないし、15センチぐらいぐっと急に前に押し出すも、肩を掴んだ手はそのままだから姉の身体が転がっていく事は無いんですけれど・・・。
それで私と姉が「・・・!!!」とパニックになると、母はサラっと笑って言うんです。
「神経質ねえ」・「本当にやるわけないじゃない」・「でも、お父さんもあんなだし・あなたたちも私を大事にしてくれないし、死にたくなる時があるのよね♪」って。
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○蒼衣○ on
自分を大事にしろ・いつでも顔色をうかがえ・自分に一切の不機嫌を発動させず・従順でいろ。
これが、毒親が私達姉妹に課し続けた、「できて当たり前なこと」なんですよ。
私は、目隠しで綱渡りさせられてるようなほっそいほっそい「正解」をたぐって、毎日ビクビクしながら生きてなきゃならなかったんだから、そりゃあ神経も疲れますよね。
それに「正解」なんて無いんですよ、実は(笑)。
毒親って、意外と「大正解」無いんです。
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もちろん「大不正解」を口にしてしまったらイビられ続けるけれど、たとえば「お蕎麦」・「パン」・「ファミレス」、どれもある意味本当は気にくわないんです。
だから、食べた後。。
お蕎麦に行けばすぐお腹すいちゃうどうしてくれんの・・・と今度は絡んでくるし、パンに行けば野菜不足が気になるしなんかイヤとか言い出すし、ファミレスなら喫煙席とか子供の鳴き声がうるさくて顔面神経痛が起きちゃったとか言い出して、
「そこに行きたい」と言わせた相手・・・つまり私に、罪悪感感じるようなことを言いまくるんです。
なので、いつも「ごめんね、変な所選んじゃって・・・」と言わされるし、その後の「ケア」・「ご機嫌取り」まで要求される。
要求されたからってやっちゃうからダメなのよと思うかもしれませんが、ちょっと不機嫌にさせるだけで、姉のランドセルとか制服捨てたり・修学旅行のお金振り込まなかったり・願書捨てたりするような人なんです。
私に対してやればいいのに、姉に対してやるんですよ。姉が不機嫌にさせた時は、標的は私になります。
江戸時代の、連座制みたいな毎日でした。
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○蒼衣○ on
毒親と違い、普通の人は”三往復”まで待ってくれる・・・とは。
例えば、前回のように「何食べたい?」でも。
A「今日何食べたい?」 B「そうだな~、行くとしたら、○○方面?」
A[そうだね、そっちの方がすいてるかも」 B「うーんどうしようかな~」
A[なら自分は、××かなあ」 B「じゃそうしようか」
と言う感じで、二人で話す会話のキャッチボールが、三往復くらいは平気で待ってもらえるんですよね。
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そんなの当たり前じゃーん!と思うかもしれませんが、実家ではこんな「当たり前」などありませんでした。
一発で当てられなければ反逆者扱いでブスッとされて、毒親のイライラが募っていく一方・・・。
なんかね、露骨に出すんですよ、「不快感」を。こっちの我慢して我慢しての末の「不快感」には、まったく関知しないくせに。
だから、こっちは何もしてないのに、どんどん空気を読むため・気配を察知するため・少しでもヒントをもらうため、毒親の顔色を窺いまくる。
でもそれも、毒親の罠なんですよね。
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○蒼衣○ on
毒親は、叶えもしないのにこっちに「どうする?」ってよく聞いてきたんですよね。
もう、殿さまや貴族が気分で奴隷や家臣をいたぶってるのと、おんなじです。
毎日・しょっちゅう、「余の本心を当てて見よ」ですよ。
だから外の世界に出ても、そう言う「決めなきゃいけない時」・「意見を問われた時」、私は必要以上に緊張しまくってました。
即答して当てなきゃイジワルしてくるような人じゃないと分かってても、もう条件反射みたいに体がこわばって焦ってぐるぐる考え始めちゃうんですよね。
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でもこれまた、ある時違和感がふつふつと湧いて来て・・・。
そして、自分と合う人・空気感が一緒な人と長い事いるようになると、即答・本心あてじゃなくて大丈夫なんだ・・・と、ハッと気づけたんです。
なんかほんとに刷り込まれてたので、無意識の中で焦ってたので、自分がそう言う状態にとらわれまくってたのも、あんまり気づけてなくて。
だけどやっと気づけて冷静に分析したとき、「普通の人は”三往復”までは待ってくれる」・「それが当たり前」という事が分かったんです。
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○蒼衣○ on
うちの毒親は、すごくせっかちでした。
何が何でも早いのがいいし、返事や会話も一発で済ませないとイライラしてくるタイプ。
例えばそこにお蕎麦屋さん・ファミレス・パン屋さんが並んでて、「何食べたい?」と聞いてくるとするじゃないですか。
すると、こちらは「毒親が一番望んでいるであろう答え・毒親が一番食べたいであろう答え」を一発で言わなきゃいけない。
普通は自分が食べたいものをそれぞれ言って、会話の中で多数決とか・譲り合いになったりするものなのに・・・。
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産まれてから気づくとずっと、全方向にそんな感じ。
もちろん空気を読まずに毒親が嫌いなものを言ってしまったら、忠誠心が足りないとばかりにイライラされてずーっと仕返しされ続けるし、八つ当たりされ続ける。
でも会話もなしに、そんなの分からないじゃないですか。
胃弱だから揚げ物は嫌いかなとか、消去法は多少できるけど・・・一発で当てろなんて。
そして、3秒くらいも待ってくれないんです。
わがままで甘えん坊な彼女が、食べたいものとか欲しいプレゼントとかを彼氏に「あたしはいま何が欲しいでしょうか♡」とか聞いて、外したらプンプンしちゃう・・・とかは、まああるあるなのかもしれないし、お互い好きあって交際している者同士だからまだ見てられるけれど。
勝手に引き合わされたに近い親子なのに、親が何考えて何を望んでるか、即答しなきゃいけないんですよ。地味にだけれど、本当にオカシイ世界でした。
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○蒼衣○ on
何かグループ内でもめた時とか、自分が当事者じゃなくても「もっと気を遣ってあげればよかったかな」とか、「私が良くなかったのかな」とか、ドラマや小説なんかでも主人公が考えていたりするものの、私みたいな毒親の刷り込みがある人がそれと同じことだけやっちゃうと、「刺さり方」が違うんですよね。
普通の人は「もっと気を遣わなきゃいけなかったかな」のあと、「でもなんとかなるといいな」・「なんで○○さん、そんなに怒ってるんだろう。なにか他に背景があったんだろうか」とか思うのに、
私は「やっぱり自分が何か足らないんだろうか」・「なんでこう上手くいかないのか・できないのか」・「私ってばダメだな・・・ほんとイヤだ」とかなってしまう。
反省するにしても、頭を拳でふれるくらいコツンと叩いててへっとするくらいで良いのに、金属バットで殴って詫び入れますくらいの勢いになっちゃう。
「やっぱり」のヒビが入っているとただでさえ割れやすいのに、一生懸命「心の糧」を溜められないくらい、自分を責めて割りつづけてしまう。。
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ほんと、当時なにやってたんだろう・・・と、今になると思うんです。
ただある時、先日の「違和感」だけじゃなくて、もっと「付き合ってみて自分が疲れなくて、帰路逆に元気になっちゃうような人」だけと率先してつき合えばいいんだと分かるようになって。
もちろん仕事やらなにやらでそれ以外の人とも関わらなきゃいけないけれど、そういう時はそう言う人の評価やら・会った時の空気やらはそんなに私だけでしょい込まなくてもいいんだなって思えるようになったんです。
と言うのも、あれだけ汚染された空気と圧の中にいたから、あんまりその微妙な加減って分からなかったのですが・・・。
一番違うのって、「待ってくれる」んですよね、普通。
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○蒼衣○ on
そんな長い年月を過ごしてきたので、私は幸せになった今でも、人付き合いはそんなに好きじゃないです。
でも楽しめないかと言うと全然そんなことはなく、相手を選んで、自分が楽しいと思う人と・無理が無い範囲で一緒にいます。
とにかく毒親に境界線を侵されて生きて来たので、距離感の無い人は嫌いだけれど・・・。
ちゃんとお互いの距離感を尊重し合って、楽しく話ができる人とは、普通に友達づきあいできています。
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ただし、社会の中でちゃんとうまく人付き合いができる イコール 毒親ににおわされた「何かが欠けてる」と言う部分を埋められる イコール ちゃんと人間関係で「成果」を出してないと、やっぱり「何か欠けてる」と関連付けてしまう・・・
みたいなところがあったので、結構ここ数年までは苦労したし・人間関係で楽しいと言うよりは疲労の方が断然多かったです。
だけど「どんな人とも、最低限うまくつきあえる」と言うのを「自分がちゃんとしている証拠」ととらえようとしても、無理なんですよねそもそも。
世の中、毒親ほどじゃないけれどトラブルメーカーはいるし、女性同士の集まりだと揉めたりマウンティングしたり・嫉妬したり・嘘ついたりとかする人そこそこいるし、そんな人たち全てとうまくいかないと、自分がオカシイってなっちゃうのって。
ただ首を絞めるためだけに、人間関係頑張ってるみたいなものでした。
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○蒼衣○ on
だけど、この世で「親孝行」・「親不孝」と言う三文字は、なんて重いんでしょうね。
当初は違和感を感じながらも、やっぱりその二つが私にとっては重く突き刺さり、何度も結局親を許してしまいました。
かと言って、親が反省したり・変わったりするわけはなく・・・。
前に書いたように、不快感を示そうが・必死に訴えようが・悲しみを伝えようが、全く変わらなかったです。
それよりも、私がたまたま不機嫌で、毒親は悪くないのに八つ当たりしてきた・・・でも私は寛大だから許してあげる、と言うスタンスでした。
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毒親は、絶対自分にとって「損するような解釈」ってしないんですよね。
悲劇のヒロインぶったり、被害者ぶったりはして周りを巻き込んで大騒動を起こしたりするけれど、結局は事実をゆがめてしまう。
話し合いが、話し合いにならない。
歴史がすり返られてしまう。何もなかったかのように、そして都合の良いように塗り替えられてしまう。
よく「尾ひれをつける」と言う言葉を聞いた事が在るけれど、そのレベルじゃないんです。
魚が車に化ける位、まったく違う話になっちゃうんですよ。
言い訳を言う人がなんとかひねり出したり・「こ・・・この位なら、なんとか許されるかな」っておずおずと慌てながら必死に弁明するとかじゃなくて、パラレルワールドに迷い込んでしまったのかと思うくらい、事実がゆがめられてしまう。
私みたいな凡人脳だと、いくら自分に都合がいい風に嘘をついてみて下さいとお題を出されても、そんな大胆なところまで発想が行かない・・・そんな感じの歪み方です。
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○蒼衣○ on
なんかそう言う違和感って、最終的には自分を救ったけれど、途中までは自分にとってはそれこそ害悪扱いでした。
だって、「うちの親がなんか変」と言う、「なんて表現したらいいかわからない戸惑い」は多々ありつつも、「絶対に変わらない」のは分かってた。
だから神経を過敏にしてそう言う違和感に敏感になったら、どんどんたまってその違和感の中で声も上げられないまま・いずれ溺れ死んでしまう。
「もしかしたら、いつか分かってくれるかも」と薄い期待は残しててそれに縋ってはいたけれど、うん、わかってたんですよね。
根っからであって、変わらない。明日がきても、明後日がきても、毒親が「自分が不機嫌になるのは○○のせい」というのを、あちこちになすりつけていて、もしその根源が消えたとしても、多分変わらない。
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でもそれをあまりにも正面から見つめてしまうと、絶望するしかなくなるじゃないですか。
だって、自分に原因があるなら、いつかガッカリされないように頑張ったら何とかなるかも・・・って、今にも疲労骨折しそうな指で糸車を回し続けることはできるけれど、親は変わらない・親に原因があると言うこの二つをすり合わせてしまったら、夢も希望も・それを担保になんとかひねり出していた気力も正気もなくなってしまう気がしたんです。
だから深く考えたくなかったし、とにかく今目の前のことをなんとかするだけでも、毒親の「お世話」・「精神的介護」をし続けるので精いっぱいだった。
だけど違和感がたまっていって・・・色々あって、初めて反旗を翻したのは20年くらい前の事でした。
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○蒼衣○ on
今思うと、あれだけ毒親に完全に支配されてて、よく抜け出せたなあ・・・と思うのですが。
最終的に自分を救ったのは、前回書いたような「なんか変」だったと思います。
私みたいに組み敷かれていた人間が、「なんか変」を頼りに他人を批判したりするのって、すごく勇気がいるんですが・・・。
いざとなったら理屈じゃなくて、「違和感」って大事なんだなあと。
実家にいた時、子供だった時、そんな「違和感」を顔にでもだそうものなら、徹底的に「反逆者」とみなされてこきおろされ、自分のせいで姉にまで累が及ぶのは必至だったので・・・。
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迷惑をかけないために、必死に違和感やらなにやらは封印したし、自分さえ我慢すればなんとかなると思ってたし、きっといつかもしかしたら少しは気持ちを分かってもらえるんじゃないかとか、そう言う色々な思いがあったんです。
でも例えば、電車の中でおしりを触られた気がして、どっちかわからないけどうわっと思って相手を睨んだり・嫌な顔をしたら・・・普通、わざとな痴漢じゃなきゃ、それ以上やってこないじゃないですか。
でも我が家は、私が不快感をもし示しても、「わざとじゃないから」・「気にし過ぎ」・「考えすぎの性格だから」等々のレッテルを全身包帯男並みに体が隠れてしまうくらい貼られまくって窒息しかける位、すぐ反撃されてしまう。
こっちが不快感や哀しい顔をしたのに気にしないで・見たことにせずやめてくれない人って、わざとだろうがなんだろうがそんなの「害悪」でしかないんですよね。
そんな違和感やゾワッとしたものに常にまさぐられていたら、体や心を壊すの何て当たり前なんですよね。
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○蒼衣○ on
それでも、なかなか間違ったレッテル貼りをやめることは、できませんでした。
と言うのも、「子供は褒めて伸ばす」と言う言葉を聞いた事が在るのに、そんなの我が家では無かったし・・・。
とにかく間違いが無いように・失敗しないように・「それ以上」ヘマをしないように反省する・気を付ける・自分を正すのが我が家では「躾」とみなされていたから、いつでも「自分を疑え」と言う圧を受けていました。
今考えると、産まれてからずっとそのスタンスで成長するって、中々厳しいものがありますよね。
当時はよくわからなかったけれど、反省と後悔と懺悔ばかりさせられて、それで健康的な自信を保てる子に育つわけがありません。
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そして、多分「分かりやすい毒親」・「行政が排除してくれるタイプの毒親」でない、我が家みたいな毒親の家の場合って、子どもたちは「なんかウチは変」・「何かがおかしい」って思うんじゃないかなあ。
私も姉もそんな事をよく感じていたのですが、それが子どもだから「何か」かまでは分からなかったし、いつも毒母に縛り付けられてて世間一般の家庭がどんなのか見させても貰えなかったし、とにかく・・・。
振り回されまくって常に疲弊したり・不機嫌な女王様に仕えていなければいけない家臣のように神経をすり減らすのが「日常」だったので、「判断力」に必要な「気力」が足りませんでした。
そこから脱して、大分時が経って気力が充実してきたからまだ「違和感」や「カン」が働くけれど、ずーーーーーーーーーーーっと不機嫌と傲慢の下で組み敷かれてる子どもって、「気づく力」がなくなるんですよね。
とにかく目の前の毒親の毒を処理することだけに追われて、その仕組みやらなにやらを考える余裕がないんです。
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○蒼衣○ on
そして最初のうちは、騙された自分をさらに嫌いになったけれど、それも向こうの手の内なんですよね。
自己評価を低く育てておけば、毒の仕組みが分かった所でその「責め」は自分に向かう。
毒親の一番の目的は「子供を幸せにしないこと」だから、そう仕組んであって・その罠にひっかかって自分を責めまくる事は、向こうの「必殺技」がキレイに決まった状態も同じなんです。
「子どもの幸せを考えない親なんていない」ってよく聞いた言葉だったけれど、毒親は子供に幸せになられるのが一番嫌いなんですよね。
長年騙し続けて、子供が騙されてる事に気づいたら、今度はもう一個外側の罠に引っかかって子供がのたうち回るところを楽しむまでが、セットなんですよ。
私は毒親のせいで享受しそこねた「普通の人生」も、「希望していた進学先」も奪われてしまったけれど、そしてその分の幸せを取り戻したわけじゃないけれど、今は幸せです。
それは、例えば結婚したからとか・子供を産んだからとか、それが一番じゃない。
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毒親の「匂わせ」で、自分はきっと残念なところがあって・かけてるところがあって、だから愛してもらえない・・・と思い込んでいた自信の欠損部分を埋めて、自分に対して間違ったレッテルを貼るのをやめることができたのが、一番大きかったと思います。
家庭内で毒親が残念な子扱いして、そして外の世界ではちゃんと評価されても、やっぱり「解釈」がずれてると、きちんとココロにいいものが溜まって行かないんですよね。
逆に、外の世界で真っ当な評価をされても、世間を騙してるんじゃないか、私はそんなすごくもなんともない・目立ちたくない・居心地が悪いと思ってしまう。
親戚などが私の事を褒めると、必ず両親はバカにするかのようにこき下ろしたり・うまいこと「でも実はこの子は残念な子で、そんな子をちゃんと育ててる私が偉い」みたいな話にすり替えたりされることが多かったので、私は「褒められる」と「けなされる」・「暴かれる」がセットになっていたから、余計に両親がいないところでも頭に「両親がこう言う時言いそうな言葉」がよぎってしまい、正確な評価を心にためる事が出来ないでいました。
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○蒼衣○ on
そんな激烈な毒親から離れることができたものの、最初のうちは自己評価がものすごく低かったです。
それも自分が暗い性格なせいだと刷り込まれてたものの、私・・・実家以外で、暗い性格とか言われたことないんです。
しっかりしてるねとか・真面目だねとか・大人びた考えをしてるとか・冷静だとか、「考え方が老けてる」と言われたことはあるものの、基本的にある意味本当はおおざっぱで、ある意味のんびりやさんで、根暗では無かったんだと思います。
でも私は誰かに褒められても・そんな上記のような言葉をかけられても、良い風には取れませんでした。
うちの毒親は、「本当のお前は私だけが知っている」と言う感じで、ずっと圧をかけてくるんですよね。
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だから私は、その洗脳のままに、「私には、毒親だけが知っている「何か」が欠けている」・「だから愛されないんだ」とずっと思い込んでいました。
ずーっとそれを匂わされて、ずーっと自分のせいにさせられてて。
なんか今思うと、何だったんだろう・・・って本当に思います。
世間に対し、子供が親を「毒親」扱いすると、「何言われたの?」・「何されたの?」って聞くじゃないですか。
そんなただ一時の、暴言や暴力じゃないんですよね。
毒親って空気も家庭内のルールも価値観も全て「圧」・「不機嫌」をもって、なにもいわなくても・なにもしてこなくても「自由を許さない」・「自分自身を好きになるのを認めない」ところが巧妙なんだと思います。
でもそんな空気に触れ続けたことが無い人は、それが「常態化」したことない人は、中々分かってくれないんですよね。
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○蒼衣○ on
私は専門家でも何でもないのですが、奇妙な家に生まれ育った経験から言うと・・・。
毒親は、大きく二つの種類に別れると思います。
ひとつめは、毒親だけれど不器用で、相手も自分をも傷つけ・毒の被害を出すタイプ。
自分の「毒性」を乗りこなしていないと言うか、直情的で破滅的なので、周囲にも被害を出すけれど自分も運命のいたずらに翻弄されたり・損をする。
感情の起伏が激しいので、正体がバレる事も多く、人から繋がりを切られることが多い。
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そしてふたつめは、良心の呵責もないし・器用だから、相手にだけ毒の害を出し、自分は完全に無傷でいられる毒親。。
一つ目のタイプよりゲーム感覚・損得勘定で動くことが多く、カーッとするよりも冷静にどう「心を刺すか」しか考えてないから、自滅することが少ない。
いつも不機嫌そうにして罪悪感等で他人をコントロールするのに長けていて、自分にかしづくよわい人間を見極めるのに優れているから、他人に冷たい割には孤立することが無い。
そのつかみどころの無い言動と魅力で、信奉者の小さなかたまりを作るのが得意。
・・・我が家の毒父は1つ目、毒母は完全に二つ目のタイプでした。
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○蒼衣○ on
私も姉も、子供が無事生まれてきたら「ありがとう」・「嬉しい」・「幸せ」と普通に思えるタイプの人間だったので、いつも毒母が「ごめんなさい」を言わせるような話ばかりしている「真意」には、全然気づけませんでした。
本来自然に「嬉しい」と思えるような「出産」なのに、私たちが大変な目に遭わせたせいで、そう思えなくなったのだろう・・・。
それだけの「何か」があるのだろうと、その誘導に従って罪悪感ばかり感じていました。
だって、元々がゼロだなんて、思いもしなかったから。
何もなかったのに「苦労」・「大変」をねつ造して、子供たちに謝罪と代償の奉仕を何十年経っても要求し続けるような人間がいるなんて、思いもしなかったから。
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そんな嘘を長年つきつづけたら、心がかさかさしてくるものなのに。
毒母は搾取と息を吐くように嘘をつくのが当たり前のように、私たちにずーっとその態度で一貫してきました。
今考えても、そんな事をして毒母は幸せなのかな?と疑問に思うけれど・・・。
こういう人って、次元が違うんですよね。
当時はわからなかったものの、自分が騙して奉仕させておきながら、そんなことで「ごめんなさい」と罪悪感を持つ私たち姉妹の「性根」を信じて無いんです。
善人ぶって・偽善者ぶって、私を騙そうとしている・・・と言う、騙し始めたのはそっちだし・こっちは騙してもないのに、嘘と奉仕の罠にはめておきながら、その通りになるのも気に食わない。
またそんな嘘をついてくるなんて、許さない。今振り返ると、そんな感じでした。
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○蒼衣○ on
正直本当、毒母「たち」から離れた時は、こんな心境になるとは思っていませんでした。
だって結局毒親を切った私の事を親戚やらなにやらは責めるし・自分でも騙されていたことが大ショックだし・自分の責任も感じたし・・・もう、頭の中がぐちゃぐちゃで。
それに今さら気づいたって、自分が楽しく・普通に・自由に過ごせるはずだった青春なんて戻ってこない。
毒親からの回復って、被害を受けたのと同じ年月、回復にかかると聞いたことがあったから・・・。
この何十年後にそんな「ゴール」に達するにせよ、その時に私に寿命があとどれだけ残っているんだろうか。
こんな針の筵のような心境で、それまで耐えなければならないのか・・・と絶望にすら近い気持ちになってしまいました。
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なんにも知らない人は、「子供のことを思わない親なんていない」とか言うけれど、その時私もそんな風に思えなかったけれど、私の人生は大半毒母に奉仕し・蹂躙されることで終わっていたから。
それでも頑張れば、もしかしたら何とかなると思ってた。
めちゃくちゃ愛されたりすることは無くても、「親子」として最低限の繋がりを感じていられたり・不仲で周囲に迷惑をかけたりせず・・・何かしら「努力しただけの反応」がすこぅしでもあると思ってた。
でも真実に気づいた時、私は毒母にとって人間でもなんでもなかった。
よく、愛されてない人を「ペット」・「家畜」扱いする例えを聞いたことがあるけれど、そんな次元じゃない。
トイレに行って用を足した時、トイレットペーパーで汚れを拭いて流してしまう時、皆さんは何か感じますか?
「汚いものをつけて水に流して捨ててしまって、ごめんなさい・トイレットペーパーさん」なんて思わないでしょう?
毒母にとって、私はその汚れを拭いて下水に流されるトイレットペーパーくらいの、存在でしかありませんでした。
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○蒼衣○ on
目から鱗が落ちるように、責任の正確な所在が分かって、罪悪感から自由になった今・・・。
心底思うのは。
普通の人って、こんな楽に生きて来たのかってこと。
罪悪感が無くて、親に毟られないで、今日も・明日も・明後日も・自分の責任のもと生きて良いって・・・こんなにこんなに違うんだってこと。
正直、毒親なのだとわかった直後は、余計罪悪感やらなにやらがどどっと押し寄せてきて、辛くてしょうがなかったのだけれど・・・。
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心の整理がついて、冷静になれたから。
・・・でも以前の「冷静」って全部自分が咎を抱え込んで、処理することが「冷静」だって思ってたけれど、そうじゃないんだ・親だってやって良い事と悪いことがあるんだ・
騙されていたのは子供を騙した親が悪いのであって、子供側が孝行心を人質に取られたような状態だったからと言って、その罪を背負う必要はないのだと気づいて、安定出来た時。
そうなるまではしばらくかかったけれど、ふっと余計な荷重がすべてなくなって、本来の「自分だけ」になった時。
「普通」がこんなにも今までと違うなら、そしてこんな「普通」を毒親のもとじゃないまともな子供が、何の苦労もなく享受できてきたなら。
そりゃあ、強いよ。そりゃあ、小さなことを気に病まないよ。そりゃあ、自分のしたいことをわかって、突き進んでいく力があるよ。
そりゃあ、日々疲れないし・生命力にあふれているよ。そりゃあ、自分の感性を大事に出来るよ。
いくつものそりゃあそうだ。がいっぱいになって溢れて来て、私は妙に納得しすぎてしまいました。
「普通」とこんなに違うんだと、最初気づいた時は哀しくて悲しくてしょうがなかったけれど・・・。
・・・今は、すごく納得と安定感を得られるようになったんです。
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○蒼衣○ on
毒親は、この距離感を偽装するのもまあまあうまかったりするが、距離感ゼロモードで来たときは本当にえぐいまでの攻撃力を見せてきた。
神がかってるレベルで、生き生きと嫌がらせをし続けられる。
蝶が舞い・蜂が刺すなんて言葉があるが、その位ふわっとプロのダンサーのように・素人が出せないような軌跡を楽々と描く。
毒親は基本的に人間が嫌いで、他人は信用してなくて、自分だけが可愛いくせに、そして文句ばかり言うくせに、他人の精神に背後から密着するのは大好きなのだ。
心理的に自分が背後を取られるのは嫌いらしく、いつも先手で他人の背後に回り寄生したかのように、相手を操る事が出来る。
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私も姉も、毒母を怒らせたら何が起きるか分らない、とにかく機嫌を損ねたら大変だ・・・と言うスタンスで、途中まで生きてきた。
毒母は、葬式だろうが入学式だろうが、どの・誰の目の前であっても、自分が拗ねてごねてその場をたちゆかなくさせても他人に罪を擦り付ける事が得意だった。
その他国を口先三寸で良いように支配・侵略してきた相手を、若干10いくつのこわっぱが追い出さなきゃならないわけだ。
私が毒親と決別できたのはもっと歳を取ってからだったが、当時のことを思い出すと今でも何とも言えない気持ちになってくる。
とにかく疲れ切っていて、でも罪悪感だけは膨らみまくってて、にっちもさっちも行かなくなっていた。
ひたすら親孝行娘として馬車馬のように頑張っていたけれど、もっともっと青春したかったな・・・
毒親が奪ったのは、そう言う瑞々しい時間とキラキラした感情だったんだな・・・と今、本当に想う。
そしてそんな今だからこそ、わかることがある。
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○蒼衣○ on
だから毒親は、距離感ゼロのくせにそうじゃなく偽装することはできるけれど、子供には容赦しない。
でも、こちらは二手に分かれた後者:距離感がある人だから、距離感ナシの攻撃は本当につらかった。
お互い距離感がなければぶつかり合う勢いもすごいかもしれないが、こちらだけ距離感のセンサーが稼働している場合は、余計にダメージを喰らってしまう。
遠慮なく敷地を踏み荒らしてくる人には、同じくらいの力で押し返さないとならないが、こちらはそんな攻撃性はもちあわせてない。
そんな正当防衛も厳しいし、それこそ他人に「距離感ゼロで接し続けられるか」と言ったら、私は見知らぬ他人をいじめなきゃならない位無理だと思う。
精神が続かない。
そんな時間があるなら、もっと心穏やかになる事や・心ときめくような事をしていたいし、いまそう言うものがないならこの世の中に何かキラキラするものは無いのかなあ・・・と、探していたい。
趣味でも・芸術でも・食べ物でも・楽しい人でもいい、自分がいい意味で「すごいな」・「素敵だな」と思う様な物や人に接して、精神的に高まって行きたい。
だけど毒親は、完全に・・・何の努力もいらず、元から距離感ゼロの人だった。
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長年の眠りから覚めた吸血鬼が渇きに耐えられず人の首筋に噛みつくほどの「変遷」もなく、皮膚が酸素を取り込み二酸化炭素を排出し皮膚呼吸するかのような、ただの「素」だった。
凶悪事件が起きるたびに思う。
被害者や遺族は「なぜこんな目に遭わなければならなかったのか」と感じるし、マスコミは「彼をそうさせた動機は何だったのか」と探りたがるけれど、毒親の「素」に気づいた以降、そんなの大体は後付けだと思う。
「確変」する動機など無くてもやってしまうから、そんな大事件を起こすわけで。
彼らは元々、そう言う人だという話に過ぎない。理由などわざわざ探してあげる必要など、無いのだ。
それを毒親被害でも、他人は「そうさせるだけの理由が子供にあったのか・もしくはそんな心境に陥らざるを得ない同情すべき事情が毒親にあったのでは」とすぐにマイナス勘定してくれるが、
そんな感覚とは、奴らは別の次元で生きてる。
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○蒼衣○ on
私も毒親と断絶するのは、何年もかかった。
断絶できたとはいっても先日書いたとおり、日本で毒親に接近禁止を出すのは難しいので、向こうが突撃してきたらどう防げるかはわからない。
もしかしたらボケたふりをして、痴呆のふりをして「わかってて」突然踏み込んでくるかもしれない。
この間、人間は「子供に嫌がらせし続けられる人と、そうでない人、二つにはっきりと分かれる」と書いたが・・・。
もう一つ、毒親絡みの例えとして使えて、この世の人間をはっきり分けられる言葉があると思う。
それは、「距離感ゼロの人と、そうでない人」だ。
うちの毒親は、間違いなく距離感ゼロだった。
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そしてバカだから・何も見えないから・・・と言う感じでそう言うフリをするのが得意で、実際は分かっていた。
よーーーーーーーーーーーくよく見ると、毒親は「損」が嫌いだから、損しない。
その損得勘定が、これまた独特なのだけれど。
普通に子供を育てて健全な関係を築いていった方が実はトータルで見れば自分に返ってくるリターンも多いと普通の人は思うのかもしれないが、
心の交流や親子の愛など偽善だと思っているうちの毒親は、「普通に育てたって裏切られるかもしれないなら、兵士化させて元から組み敷いて管理していた方が良い」・
「徹底的に損はしたくないけれど、それよりもっともっと徹底的に得をしたい。得だけをしたい。愛は浴びるほど吸い取るのが当たり前」・
1の損は1000倍にして不快感を募らせるし恨むけれど、1000の他人からの奉仕はすぐ忘れる・何とも思わない」・・・な感覚だった。
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○蒼衣○ on
そう、だから毒親の毒にいよいよおかしいと思ったり、人生の重大な岐路を邪魔されたりした時、初めてアダルトチルドレンは本格的な抵抗を試みようとするのだが・・・。
よほど「罪悪感」の処理の仕方をちゃんとしないと、それ専用の知識を身に着けてないと、諸刃の剣となって自分にとどめを刺してしまう場合がある。
今思うと本来なら、正しい知識を正しく活用すれば、呪縛は解ける。
だが、ことビジネスライクな話ではなく「親子」と言う人間の「情」にかかわる根幹の部分なだけに、罪悪感の除去だけでも相当難しい。
ただ単純な暴力・暴言の毒親ではなく、うちのように「すんなり恨ませてくれないような仕掛け」を使う様な「自分はかわいそうな人間演出」をするような毒親だと、尚の事厄介なのだ。
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その上、そんな「対自分」よりも厄介な敵、「毒親本人」を国土から完全撤去する必要があるわけだ。
むこうは「自分が持っていた未開の森に勝手に住みついて開墾して、良い思いをしているけしからん奴」・「小作人は利益と人生全てをかけての奉仕を地主に支払うべき」くらいの感覚でしかない。
それを元々貴方と私の間には境界線があって、この土地はあなたの土地だったわけでもなく、お互い健全な関係で居ましょう・・・と相手と自分の「価値観」をはっきり認識・主張しなければならない・・・と言うのは、相当の至難の業なのだ。
もう長年、毒親の毒に冒されて疲れ切った心身で、それをやってのけねばならない。
相手の価値観が変わる事はそうそう無いだろうけれど(だからこそ毒親なのだ)、自分に合ったその中でのベスト・・・
精神的距離感やパーソナルスペースの確保など、何かしらの改革をしなければならない。
人生の岐路ならば下手すると10代中盤から後半で、遅くても20代くらいには・・・その「若さ」なのに、一回ヤマが来るかもしれない。
そうその若さで、ストーカーであり精神の痴漢であり不法滞在者である「自分よりももっと生きている分経験や口達者さなどがある」毒親を、追い出さなきゃいけないと言うのは新米と横綱の勝負位「無茶」にも思えることかもしれない。
兄妹親戚と切り離されている場合、それをたった一人でやらなければならない。
味方はいなくて、下手すると兄妹・友人からも「裏切り者」扱いされるかもしれない。
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○蒼衣○ on
そう、本来家族とは「普通の神経をした」人間同士であってこそ、健全な生活が営める。
だけど不運にも毒親の元に産まれてきた子は、幼い時から「自国領土」で鬼を飼い・鬼を養い・鬼に心身共に貢ぎ・貢献・奉仕し続ける関係を求められてしまう。
毒親の洗脳の様なものが解け冷静になって見ると分かるのだが、うちは親子が完全に逆転していた。
子供は大人として振る舞い・いつでも慈愛の精神で挑まねばならず、それに失敗すると相手は赤子のように駄々をこねる。
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普通の人が「駄々をこねる」と言うのを聞くと、それこそ新婚白エプロンの新妻がかわいくふくれてるくらいを想像するかもしれないが、うちの場合は全く違う。
難癖をつけて百貨店や通販会社に猛烈にクレームをつけてお詫びの品か謝罪をもぎ取ろうとするクレーマー並みに執念深かったし、
呼ばれてもないのに家に押しかけて来て帰ろうとしないストーカーのように「距離感を一向に改めようとしない・話が通じない人」だったし、
そのくせ外面だけは良くて、色々な人を操作しまくってはほくそ笑むようなタイプだった。
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○蒼衣○ on
そう、普通の神経の人は・・・子供に「嫌がらせ」・「八つ当たり」なんて、し続けられない。
母性神話がある日本で母性が絡むとまたややこしい話になるから、もしそこを除外して「他人」だとしても、そんなに長続きしない。
・・・この世には大きく分けて、二手の人間がいる。
「子供を愛せるか」・「愛せないか」に分けてしまうと言うと境目がぼんやりしてくるけれど、
「他人を傷つけ続けられる人と、そんな事をやり続けられない人」のに分けると、単純明快だ。
ずっとイジメる事の出来る人、ずっと嫌がらせできる人って、やっぱり「普通」じゃない。
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毒親はいかにうまく愛を偽装しようと、AC側に落ち度があるからあたしが管理してないと位でしゃしゃり出てくるのだけれど、それは見せかけであって・・・・・・・完全にもとから「向こう岸の人々」なのだ。
その間に流れる川は、決して簡単に渡れるようなものではない。
よっぽどの何かがあって阿修羅と化す人間について、文学やらなにやらで取り上げるからそう言う方が多いイメージだったのかもしれないが、今振り返ると圧倒的にその川を渡って鬼になった人間よりも、元から「あっち側」に生まれ育った・・・
人間の皮をかぶった悪鬼の方が、断然多い気がする。
私はこの点について、毒母にずっと騙され続けていた。
子供にそれだけの嫌なことをして親が見返り・うまみがあると思ってなかったし、普通の神経だったらそんな状態疲れてしまう・怒りや戦争を続けるのは負担が大きいから、そもそもたまにしかできないだろうと思うから、いつまでたっても見抜けきれずにいた。
すっごく空気が重くて、いつも両肩にプレッシャーがのしかかってきてるようで、呼吸をするのも息苦しかったのに。
でも毒親にとっては、子どもをいたぶり続ける事なんて・・・
なんの労力もいらない・・・口と肺の呼吸どころか、皮膚が普通に呼吸しているくらい他愛ないことだった。
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○蒼衣○ on
そもそもまともな神経の人に、「たった一か月」だとしても・・・「子供を虐待しつづけて、いびってください」と命令しても「続かない」でしょう。
「まともな神経の人」は相手が子供だったら「血を分けた我が子」への愛おしさがあるからそんなことできないし、もし対象が子供ではなく「他人」だとしても、「遠慮」と言うものがあるからです。
それは、自分以外の人間は自分以外の領土があって、やすやす踏み入れていいものだとは思っていないから。
まずそこが、毒親と違うんです。
毒親は子供に遠慮なんかないし、対外的に「善人ぶる」・「侵略の大義名分をふりかざす」ことには長けているから中々尻尾を出さないし、かれらは国土を共同経営するつもりなんかありません。
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毒親は結婚詐欺師以上の詐欺師であり、捕食者であり、蹂躙する側として君臨するのみです。
一方、一般人は・・・そりゃあ普通の人間だからたまには八つ当たりしたり、ちょっとした口論になったり、思春期・反抗期ともなれば余計にこじれたりすることもあるかもしれないけれど、
「相手が悪くないのにいたぶり続ける」・「支配し続ける」と言うのは、まっとうな神経の人にはし続ける事はできません。
もしも余計な一言を言えばその場で心に後悔が残り、それがじわじわと「自己嫌悪」と言う毒を増やしていき、とても耐えられなくなるからすぐ謝ってしまうと思います。
だから普通の人には、「相手が悪くなくてもいたぶり続けられる神経」と言うものがこの世にある、しかも手を出すなどの虐待ではなくて、心理的な虐待・いびり・見下し・永遠の奉仕の要求があるなんて、ピンと来ないのかもしれません。
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○蒼衣○ on
だから、毒親がそんな「不法在留」だと思っていない世の中の人は、ACの苦しみは大げさに言ってるだけで、一時的なモノなんだろうって思うんでしょうね。
ただその時、たまたま毒親の機嫌が悪かっただけ。
だから苛ついて、思わず親子の垣根・国境を飛び越えてしまっただけだと。
何か理由がイライラして、「うっかり」そういう事をしてしまったのだろう・・・位。
新婚家庭で新妻がむくれて夫に甘えながら癇癪おこしている・・・、ちょっとムカッとしてやんちゃしてしまっただけ位。
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・・・・・・・・・・・・・は?
とんでもない。
あの毒親の獄から脱した今振り返ると余計分るけれど、そんなのとは次元が違います。
日本って「奴隷」って言葉を普段から軽々しく使うし、なんならそれが性的なプレイみたいな位でもてはやされているかのような言葉だし、そんなこと言ったってほどほどのところで止めてくれるようなもんだと、勘違いしてるんじゃないかなあ。
恋人同士が「愛の奴隷」なんて言ってる次元とは、まったく違うんですよ。
女子高生をかっさらって部屋に閉じ込めて監禁し、本来過ごせるはずだった輝ける時間を奪い続けるのと同じ。
ずっとずっとその歪んだ上下関係は続き、一方的に汚されているだけだと言うのに。
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○蒼衣○ on
だから、アダルトチルドレンが「毒親と仲が悪い」と言うと、周囲の人は「親なんだから」・「血がつながってるんだから」・「そんなことは無いハズ」と言うのって、その「領土」のスタンスの違いでも説明できるんです。
そう言う外野の人たちは、わざわざA国がB国にちょっとむかついたからといって、重い腰を上げて戦争の支度をして・決心して・攻め込んで・戦って・勝って言い負かして・戦後処理・・・
なんて「面倒」・「手間がかかる」ことをしてくる位なら、それに「見合うだけの」AC側の落ち度・もしくは怒らせる何かがあるのではと思ってしまうんです。
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たいした戦争の大義名分もなく・疲れるだけのそんなことを、我が子に何でやるんだろうかと。
そんな必要があるだろうかと。
でも毒親は元からB国に常駐して、それどころかB国王の子供の玉座にふんぞり返り、その手に持っているステッキで・足で、子供を地面に這いつくばらせているのが日常的で。
わざわざ遠征してきてるわけじゃない。
叩いて殴って・お金をせびって・・・とかの虐待だったら、やった本人はスッキリするのかもとか想像して納得するかもしれないけれど、特にモラハラや精神的圧迫については、外野はほとんど理解がないです。
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○蒼衣○ on
毒親との主従関係がおかしいことに気づいた今では、良く分かるんです。
そう、うちは親子関係ではなく主従、一番近い所を言えば主と奴隷でした。
なんか、普通の人に「うちの親がオカシイ」と言うと、そう言う風になるだけの何かが子供にあるか、勘違いか、親側に何か思うところがあるか(心配したから)などと思うようですが、実際は違います。
毒親は、子供との境界線がありません。
例えば、A国が毒親、B国が子供だとすると。
子供であるB国は、自分の土地は自分のものだと思うし、自分の土地で自分が成長して実った実は自分のものだと予定します。
だけど。
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普通の人の感覚だと、「その様子を見ていてA国はB国の実りが欲しいな・土地があればもっと楽できるな・征服したいなと思う」のかもしれません。
でも実際は違います。
A国は、最初からB国も自分のものだと思い切っているんです。
一度も、別の国になったとなんて思ってないんです。
だからB国が勝手に自分の土地面してるのが気に喰わないし、B国でできた実りはさっさと持ってこないのがむかつくし、無理やり持ってこさせたら・罪悪感で貢がせたら、そんなにたやすく持ってこれるなら実はもっと隠してるんじゃないか。
もっと持ってこれるんじゃないかとか、「感謝」なんて全然ないんです。
最初っから、スタンスがまるっきり違うんです。
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○蒼衣○ on
毒父はDVタイプだったので加齢で力が弱まったら多少落ち着いたりもしたけれど、毒母は生命と若さへの固執なのか加齢で余計に性格悪くなりました。
前は、そんな人間の元に生まれて搾取され続けた人生が、悲しかったな。
でも今は、自分が苦しい時とか・寝込んでる時とか・事故にあった時とかに、来世では「パパママ助けて」とか、「お母さん」・「お父さん」とか口にしてみたいし・思ってみたいかな・・・とかその位かも。
ふと気づけば、物心ついたときからこういう時に父と母が助けてくれる対象だって、思った事が無いんですよね。
子供が壁にぶち当たって悩んでいれば励ますどころか「そんな事で悩んでいる暇があったら親を構え」だったし。
病気で寝込んでいれば、「うつさないでよ」・「病院にいく面倒なんて嫌だから、大人しく寝てろ」・「痛いとか泣いたりとか煩いから黙ってろ」だし。
事故に遭ったら、これまた「余計な手間暇かけさせやがって」位の勢いだし。
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元気で居たら、それはそれでピチピチ・きゃっきゃしてるのもムカつく、うざい・落ち着きがない・生き生きとしてるなんて自分の事ばかり考えて親孝行が足りないんじゃないか・・・と言う疑いの目や嫌味を振りかけてくるタイプでした。
そうなんですよね、これ書いてて改めて思っちゃった。
普通の家って、子供が苦しんだり病を得たら、心配してくれるし。
子供はパパママ助けてとか、普通に言えるんですよね。
子供時代、言ってみたかったなあ。
親と、言えるような関係でありたかったなあ。
自分がそう言う状況で、そう思えていたところって・・・想像してみたけれど、全然ピンときませんでした。
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○蒼衣○ on
先日、毒母から凸攻撃くらいそうになって、ちょっと色々揉めました。
でも今回は従兄妹が間に立ってくれて、なんとか阻止する事が出来ました。
こういう時、そう言う人の存在は有難いのですが・・・。
やっぱり何にもなかったように「気のせい」・「ただの誤解」・「私は哀れな老人」面してきたから、本当に頭にきてしまいました。
あれだけ我が家を荒らしまくっておいて、どの面下げてそんな台詞を言えるのか・・・!?
恥を知らぬ厚顔って、こういうことを言うんだなってビックリしてしまいました。
罪悪感がありまくった頃なら、悶絶するほどの胸の苦しみを感じていたんでしょうけどね。
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今では、ロクデナシのDV浮気亭主が捨てられたくない時だけ「愛してるよ」とか軽薄な言葉を囁いてくるのに似てる・・・なんて思ってしまいます。
でも毎回、従兄妹を間に立たせるわけにもいかないのでちょっと調べてみたら・・・。
恋愛や会社のストーカーは接近禁止令とか出せるのに、実親だとそれもなかなか難しい法律になってるみたいですね。
思わず軽く絶望してしまいました。
海外では、実親にも接近禁止令出すシステムがあるらしいのに、日本は相当苦労するみたい。
この辺の法整備、だれか整えてくれないかな。
なんで自分で選んだ恋人のことは、危険だと接近禁止させられるのに・・・。
実の親子ってだけで、何をされても防ぎきる事が出来ないんだろう。
日本はまだまだ、実親からの被害に対する認識が甘い気がします。
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○蒼衣○ on
あと、うちの毒親は・・・
要介護になったとたん 散々踏みつぶしてきた娘に接近しようとしたり、老人ホームとかのオカネせびってきそうですごいイヤです。
私と健全な関係を築けなかったことも毒母のせいだと思ってるし(何度も話し合いをしたのに、約束全部反故とか・でたらめ吹聴とか色々やらかしてきました)、
老人ホームのオカネがたまってないのだって、今散々遊び惚けてるからじゃないの?
祖父母の遺産食い尽くして遊んでないで、今までだって働けばいいのに。
それで足らなくなって親せきに「酷い娘」って言いふらしたりしそうで、本当に嫌。
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(対象は私だけでなくて、こういうのは母の常とう手段です)
逆に足りてても周りにせびるために私を悪者にして、勝手に「娘が借金踏み倒して、返してと言ったら疎遠になった」とか言いふらしてそうで怖い。
(これも、よくやるパターンです)
母に余分にお金をもらったことなんて、一回もないのに!!
逆に今まで、どれだけ騙されたか・・・。お金も気力も精神力も、返して欲しい。
本当、嘘つきってすんごい量と深さの嘘をつくから、厄介すぎて悲しくなります。
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○蒼衣○ on
・・・親を大事にしなさいって言葉って、(まともな)が頭についてないのがおかしいよ。
「まとも」なをつけずにそう言ってくる人って、この世の親のほとんどは なんのかんので「まとも」だと勝手に思い込んでる、幸せな人たちなんだろうな。
子供を辱める親がいる・子供から搾取する親がいる・子供を殺す親がいる・子供を売る親がいる・子供を犯○親がいる。
でもきっと、何かしらの「事情」や「背景」があるはず、ってね。
本当にヤバい奴は、事情も理由も背景も無くても、平気でヤれる人たちなんだよ・・・。
むかつく事をしたから、潰すんじゃないの。
何もなくても、潰されるべき相手だと思っているの。最初っからそうなの。
そこには大して、それをやっていいだけの理由なんて、無いんだよ。
痴漢が他人の下半身に容赦なく・遠慮なく手を伸ばすのと一緒。
相手にとっては元からそこに、境界線なんて無いの。
簡単に手を伸ばして、汚して良い存在なの。
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元々そんな事をしない人だけど性的魅力に惑わされて道を踏み外したんじゃなくて、すきあらば・死角ならば他人の秘部だろうがなんだろうがに平気で手を出せる人たちなの。
その存在の軽さに、毒親からの扱われ方に、子供は一生悩み続けてるのに・・・ただの「蹂躙」でしかないのに。
そう。もし私が豆腐のカドに頭ぶつけた・・・くらいの事故死をしても、たまたまですよ。
どうせ人間死ぬなら、そんな毒親の因果になど怯えずに堂々と死んでやる!!
・・・・・・「親」なら何をしてもいい訳じゃない!!
それは誰が何といおうと、絶対絶対そうなんだから。
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○蒼衣○ on
あの世に行きたくはないけれど、これだけはキッパリ書いておきたい。
毒親と絶縁した私が、早死にするとしたら。
それって、あの毒母の面倒を見きらなかった天罰じゃなくて、あの毒母による長年のストレスのほうがよっぽど関係あるでしょ。
当時はなんで耐えられないんだろう・なんで支えられないんだろう・・・って我が不甲斐なさを責めたけれど、今考えたらよく正気を保ってたな・・・くらいの劣悪な空気・言動・嫌がらせ・辱めを平気で流し込み続けたもの。
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長年絶えてきたその空気、今3秒でももう一回味わって・・・って言われても、即お断りします。
アレルギー反応おこして、ひっくり返りそう。
でもそれって過剰反応じゃなくて、まっとうな感覚なんですよね。。
耐えてきたころの方が、センサーがぶっ壊れててもう気絶寸前くらいだったもの。
なんであんなのに耐えてこられたのか、不思議なくらい。
どれだけ自分が神経を切り離して耐えていたのか、唖然とするくらいだから。。
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○蒼衣○ on
ひっどい性格の親を矯正できなかった罪って、娘にあるの・・・???
いや~それを言うなら、それこそ親の親に責任があるんじゃないの?
世間はすぐ「躾が~」とか子供の非を親に問う風潮があるのに、なんで毒親に限っては子供に非を問うんですかね。
阿保らしい。
だからうちは、もうこんな外野の意見や視線に惑わされず、私は私の生きたいように・誠実に人生を送ります。
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自分の人生、あと何年残ってるかわからないんだから。
たとえそういう風に自由に生きて毒母より先に死んで「因果応報」と言われても、そんな非科学的なこと馬鹿馬鹿しいから、それもまた人生・・・とそこの関連性など感じずにあの世に行きますよ。
前は毒母にそういう「親に逆らうと、天罰が下る」と刷り込まれていたけれど・・・。
私は、単純に大事にしてくれる人を大事にしたい。
甘やかしてほしいとかじゃなくて、ひったくりや追剥や詐欺師や悪魔教の教祖みたいな人相手に、もうそんな「大事」を無駄遣いしたくないんです。
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○蒼衣○ on
あとこれも、批判覚悟で書きますけど・・・。
そんなに「介護してもらって当然」な娘と健全な人間関係を築けてこなかった毒親が因果応報な人生を歩むのって、完全なる自業自得じゃないんですかね。
途中まではする気があったのに、あんまりにも潰しにかかってくるからカラクリに気付いたのに。
そこから、瀕死で脱出できたのに。
うちの夫ですら、結婚当初はピンと来てなかったのに、今では「もう一度関わったが最後、全員引っ掻き回されて滅ぼされてしまう」と怯えてるのに。
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元々娘から敵くらいに思われたならともかく、散々やらかして長女を自死に追い込んで、挙句の果てに次女からも絶縁されて・・・
そんな人に、どこまで「同情」しなきゃならないんだろう。
そんな人の影におびえて、なんで仕事やら行楽まで制限されなきゃならないんでしょうね。
「お母さんの愛」とやらに守られてきた人はこんな考えにアレルギー反応を示すかもしれないけれど、目から鱗が落ちた今あたりを見回すと・素朴に不思議なんですよ。
言ってくる奴は平気で言ってくるけれど、そんな妄言に構ってなんでちぢこまって生きてかなきゃならないのかなって。
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○蒼衣○ on
・・・私は人生で毒親によって税金を7・8・9割取られてきたのに、まだそんなよくわからない根拠のために、追徴課税されなきゃならないんですかね。
どんだけ毟り取られれば、いいんだろう。
どうせいくら渡しても、常に弱々しく生きてないといけないんでしょう?
なんか、・・・なんだろなー一体。と思ってしまいました。
これで罪悪感と言う刃がまだ刺さっていたなら、全身から血しぶきがあがってたんでしょうね。
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そう言う時って、もう考える間もなく・反射的に罪悪感が切り裂いてくるんですよね。。
昔ちいさいころ、稲葉の白兎の話を読んだ時に、あーこの生皮をはがされて塩につかったような感覚、見覚えがある・・・なんて思ったっけ、
罪悪感を完全に壊滅した今だから言えるけれど、そんな状況ただの面白くないホラーですね。
何の意味も無くて、ただ搾取されるばかりで、馬鹿馬鹿しい。
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○蒼衣○ on
せっかく、やっと気力体力に目処がついて、自分の人生を満喫しようとし始めたのに。
だけど・・・仕事に戻ったり・旅行に行ったりするなんて、そんなに贅沢なんですかねえ。
私の同年代で、そんなに奇特なことじゃないと思うんです。
やっと人生の主導権を手に入れた私が、その位の「満喫」するのって・・・そんなに罪ですか?
じゃあ、あんな毒親の元に生まれたが最後、完全に蹂躙されるか・罪悪感にさいなまれながら弱々しくひっそり生きるかしか、許されないんですか?
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「産んでもらった恩」とか、「だって親なんだから」と言う言葉だけで、そんなに強制できるものなんですか?
そう言うこと言ってる人が私と同じ目に遭ったら、絶対さっさと逃げるであろうに。(頓珍漢な分、忍耐力もないように思います)
勝手に決めつけられたら、なんかお返しにその位決めつけてやりたくなっちゃいますね。
一体私はいつまで、あの毒母の足かせを嵌めながら生きていかなきゃならないんだろうって、そんなのオカシイって、しみじみ思います。
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○蒼衣○ on
そんなこんなで。
私がいざある程度体調や気持ちが整ってきて、いざ完全復職・溜まったお金で行楽・・・となると、眉をひそめる親せきがでてきてしまって。
そういう人たちからすると、母親を絶縁した娘が傷つきながら弱々しく・地味に生きているのはまあまだ許せるけれど、自分たちよりも(?)派手な生活だと感じるのか、かなり嫌味を言ってきたりするわけです。
すると私は言い返したいけれど、そうすると板挟みにあう人や迷惑をかけてしまう人が発生したり、毒母の思うつぼになるのでそれもできない。
でもだからと言って、言いなりにはなりたくない。
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ただうちはたまたままだ毒母がピンピンしてるからいいものの、これで要介護・病気持ち・・・となったらきっと、今以上に風当たりが強くなるんでしょうね。
「介護」とか「年老いた母」とかって、日本人に独特の感情を呼び起こしますよね。
それにそぐわない人間は、人にあらず・・・と悪魔扱いなんでしょうね。
だから、私も今後の人生というか方針をどうしようかなと、今一度考えてみました。
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○蒼衣○ on
そうして、少しずつ大きな連鎖反応を起こすようになった私は、大分毒親の呪縛が壊れて自分の人生を楽しめるようになったのですが。
ここにきて、ちょっとした壁にぶち当たりました。
と言うのも、我が家の絶縁騒動は親せき内で知る人は知っているし・知らない人は知りません。
色々な事情があったり・全面公開すると私でなく他に迷惑が掛かるので、それもなしえない状況です。
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だから、私が生き生きと生活してると、困る人が一部いるんです。
説明が難しいけれど、そうですね。
私が母と絶縁したのを知ってる人は、いかに母が遊び惚けていようが「被害者」だから同情的だけれど、突き放した側の「加害者」である私がフラフラかかろうじて生きてるならともかく、ピンピンしすぎてるのは「何なの?」と思ってしまうと言うか。
私が復職して・家事も育児もやりながら、貯まったお金であちこち旅行に行ったり・人生をエンジョイしていると、「親を捨てたくせに」と感じる人がいるわけです。
それで、事情を説明するわけにもいかないし、毒母が先に刷り込んだ人たちだったり・サイコパスとしての息を吐くように嘘をつく特質に魅入られて言いなりになってる人たちだったりするから、扱いが難しい。
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○蒼衣○ on
変わりたい!と寝込みながらめちゃくちゃ強く感じていたし、どうにかしたいと思っていたのにどうにもできなくて落ち込んでいたのにね。
一旦、そういう刺激を受け始めると、その糸口が連鎖して、私にいい意味の「波」を起こしたんです。
そうやって人との交わりの中で、健全に「いい予感」をもっと感じるようになれて。
そうしたら、ちょっとずつ右肩上がりで治っていくしかない・でもそれだと人生が間に合わない・・・と思っていたのに、部分的にだけど1うピースが当てはまったら、
ドミノ倒しが再びすーっと行くような「氷解」が見れたりしたんです。
なんかその時の瞬間の一個一個を思い出すと、学生時代の初恋の感覚みたい。
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世界が変わる感じ・・・?何かが弾ける感じ・・・??
誰かに惚れたとかそう言うのじゃなくて、それでも自分を突き動かす衝動みたいなのが得られたんですよね。
今までの自分の呪縛や・毒・ガチガチに固まった心に強烈な力を加えて、見事に風穴を開けていく感じ・・・かなあ。
多分人生を操られてない普通の人は、進路や将来決定なんかでこういうのを健全に感じてきたんじゃないかな・・・?
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○蒼衣○ on
毒親との絶縁を経て、怒りよりも湧いてくる感情は・・・。
人間はすべて良い人・悪い人とかじゃなくて、人間って本当にその人次第で多種多様なんだなって。。
この世には「毒親」って言葉があるものの、人は毒にも薬にもなると言うことを、毒親みたいなのじゃなくてすごい人もいるんだって心底実感しました。
当初はそんな人を見ても、中々癒しにまでは近づけなくて頭が真っ白だったし・癒しを感じているつもりでもエネルギー不足だったものの・・・。
・・・この世では上手く仮面を被った毒人間が偉ぶったりしていることもあるけれど、本当に本当に素敵な人って・・・こんなに妙薬なんだなあって。
毒親でイヤな目にあい続けてきて・もう気づけばこんな歳でいまからどう回復できるんだろうって焦っていたのに、そう言うのが実感できるようになると かなりな力になるんだなあって。
だけど、、本当に気をつけないと、そんな妙薬とは対照的すぎるプレデターに、つかまってしまうんですよね。。
・・・そのほかも、家族以外にも。
それでも今、知人や友人・そして少しずつ新たに知りえた人々との出会いの中で、「毒」も「罪悪感」もない清浄な空気がとっても心地よくて。
そうしているうちに、いい意味での刺激を受けたり・それでやる気が自然と起きたり。
毒母が植え付けた恐怖や疲労感を打ち砕くような、自分を変えてみたくなるような、「そそられる瞬間」に出会うことができて、毎日が刺激的だし・他愛ない日々なのに噛みしめて生きています。
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○蒼衣○ on
それでも、罪悪感も毒親もいなくなった空気感は、次第に私を「普通」に戻してくれました。
我が家内の、家族の「気持ちを注いだら、ちゃんとかえしてくれる」健全な状態が嬉しくて。
台風一過のあとの晴天みたいなそのまぶしさを、いちいち噛みしめたりもしていました。
ああ、平和だな・・・って。
ちょっとだけ、「この世にこんな平和があるなら、なんで自分はあんな世界にいなければならなかったんだろう」って思ってしまったものの・・・それでもやっぱり、「人間の違い」をくっきり感じていました。
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今さらながら、人間って・・・性善説とか色々あるものの、元々の性質によってこれだけ違うんだなってしみじみ。
「あんなバッタもの」を長年崇拝させられ、威圧され続けてきた私ってなんなんだろ・・・。
私が本当に大事にすべきなのは、私自身とこういう人たちなんだよな・・・と痛感しました。
でも、威圧されていた時は本当にそれがおかしいのだと分かることができませんでした。
例えば数年前にタイムマシンで戻って、未来の私がこんなブログを書いてるよと言っても、同じ日本語とは思えないくらい理解不能だったと思います。
・・・何言ってるんだろう?くらい。
多分同じような立場でどつぼにはまっている真っただ中の人は、私のこれまでの文章読んでも「でも自分は違う」(救われるべき存在じゃない)とか心のどこかで思っているのかも。
かつての自分が、そうだったように。
だけど人間、ここまで目から鱗が落ちるものなんだな・・・って今は真っ黒が真っ白に塗り替わった世界で、前の世界の狂気さかげんを実感しています。
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○蒼衣○ on
そんな風に、回復当初はいい予感を感じたかったけどいい予感なんて全然おりてこないから、いくら手を伸ばしても空気しかつかめないような状況に、ひどく焦ってしまいました。
それに、毒母には家族全員が大なり小なり振り回され傷ついたけれど、みんな私より回復が早い。。
夫も子供たちも、根っからの毒親育ちじゃないから・・・
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毒母の正体にギョッとしてそんな人が血縁だったのに衝撃を受けて、青ざめたり体調に変調をきたしたりしたけれど、根元から折られていない分、すぐに「本来の生活」に戻っていきました。
私は、みんな早く治って元気になってくれて嬉しいものの、やっぱり私みたいな根っからの毒親育ちとは 違うんだな・・とちょっとコンプレックスを感じたりも。
いつまでも治りきらない自分が悲しくて仕方なかったし・そんなひねくれた気持ちになっちゃう自分もイヤだったし。
ただ、家庭内に毒をまき散らす人がいなくなるって、本当にすごいことなんだな・・・って思うようになって。
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○蒼衣○ on
そして、今も全快ではないけど、なんか「もしかしたら」また何かが変わっていくのかも・・・って「いい予感」を感じることができるんです。
前だったら、そんな「確証」のないものなんて悲しいとしか思えなかったし、「いつ・どこで・どのように」って・・・
とにかくいつ元の・・・本来・被害を受けなければ歩めた人生に戻れるの?って、知りたくて仕方なかった。
自分の被害を正確に把握できるようになって、逆に焦ってたのもあるんでしょうね。。
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あと、罪悪感がとれはじめて自分が失ってきたものの大きさ・騙されてきた程度を知ってしまったら、もう正気でいられなくなりそうになるほど、辛くて。
なんでもっと早くきづけなかったんだろう、何をやっていたんだろう、何でこんなことになったんだろう・・・ってあとからあとから感情が押し寄せてきて、もうどうにもならなかったんです。
だからそれをなんとかするためには、早く全快したり・その手ごたえを確実に感じたりしないと、どうにもならないのかと思っていました。
もういてもたってもいられないのに、手ごたえがまるきりない。
その悪循環で、せっかく自由を得ても針の筵のような気持でいました。
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○蒼衣○ on
絶縁当初はもう最悪の気分だったものの、そんな風にちょっとずつ判断力が戻ったり・自分で自分を一番に見れるようになると、心の安寧が得られるようになりました。
最初はもうデロデロで布団に伏せってて、このまま酷い状態で生きていて、回復が見込めるのか・・・?
この辛い気持ちがどうにかなるのか・・・?
一体いつになったら、少しでも何とかなるんだろう・・・??って不安だったけれど。
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その当時、ベッドから見上げた天井も布団も味気ない白さで質感もほとんど感じていなかったのに、今では光がおぼろげにあたっていたりすると、温かみも感じるし。
母の愛にくるまれたことはないものの、お布団の抱擁力(?)にウットリできたりも。
前だったら、こんな「ちょっとした共通点」に気付いたら、逆に「自分は得ることのできなかった母の愛」とやらにしょんぼり、悪い意味で実感するしかなかったのに。
今ではお布団の温かさに「これがあればいい」位の、能天気な事も考えられるし。
なんか、ちょっとしたことでそうやって横たわって休憩しても、ちょっとすれば ある程度良くなるだろうとも思える。
だから、ちょっとした不調で横になってるのに、なんだか「自分を適切に気遣えるようになった自分」が嬉しくて気持ちいいんです。
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○蒼衣○ on
でも自分のことは守れたと言っても、精神的には何度も死にかけてたから、ずっとゾンビみたいな状態だったのかも。
普通の家庭で育ってきた人たちがキラキラと明るい世界を満喫していたのに、私はこの世の中で実態があるんだか無いんだかよくわからないものに、長年蝕まれてきてしまって。
みんながスキップして歩くような青春街道も、ほんとゾンビみたいにフラフラ・悲鳴を上げつつ歩いてたかもな。
もっともっと早く脱したかったけれど、それでもあのゾンビのまま、闇落ちしなくて良かった。
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毒親の元に生まれついただけで、なんでいつも青ざめた顔で自分の生き生きとした人生を放棄しなければならないのか。
一度もとり憑かれたことのない外野が、偉そうに「親の愛」論を語ってくるのか。
やつらは世間知らずなのもあるけど、ゾンビ見てシューティングゲームみたいに撃ちまくりたいだけなんじゃないですかね。
射撃ゲームのボーナスタイムのノリで、何も知らない無神経な人が本来の人生を喪失している人に殴りかかるの、あれこそが「加害」であって「正当防衛」じゃないのに。
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○蒼衣○ on
自死はよくないとか、そういう正論は分かってる。
ただあの時は被害に気付いてももう取り返しがつかないほど引っ掻き回されていたし・心身共に疲弊しきっていたし。
親を捨てた娘というと、世の人たちは元気な娘が用済みの母親を軽々と担ぎ上げてポイっとしたかのように、思うかもしれないけれど・・・。
カッコつけてるわけじゃなくて、絶縁しきった段階で、私は毒母からの返り血よりも何倍も出血していて瀕死だったし、それからしばらくも毒母が何もなかったかのように遊び惚けてても私は絶命寸前・・・と言った感じ。
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世間の勝手なイメージとは正反対で、誰に理解されなかったとしてもあれは「加害」ではなく「生きるか死ぬかの正当防衛」でした。
目撃者がいない正当防衛って、自分が主張しなきゃ誰もかばってくれないんですよね。
振り返ると今まで本当にいろんなことをやられたのに、自分ですらその被害を軽く見てしまうのが恐ろしい。
姉を守れなかったのが、本当に悔やまれるものの・・・。
自分のことはスレスレのところで、・・・守れた気がします。
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